
「鬼滅の刃」に続く大ヒットアニメ&漫画「呪術廻戦」。
その中に登場する史上最凶の呪いの王「両面宿儺」。
千年以上前に20本の指に封印されていました。
しかし、時の流れとともに風化し、
主人公の虎杖悠仁が食べてしまい、現在は虎杖を器として入り込んでしまいました。
そんな宿儺が実は実在していたという説があるのをご存知でしょうか。
そこでこの記事では「呪術廻戦」の「両面宿儺」は実在するのかについてまとめてみました。
様々な説のある両面宿儺を見ていきましょう。
「日本書紀」に登場している凶賊説

日本で初めて国家が編纂した正式な歴史書「日本書紀」に登場している実在している人物です!
人物ということはそう、作中と同じ宿儺は人間だったのです!
その日本書紀に記述されていて
遥か昔、飛騨の国(現在の岐阜県)にひとりの人間がいたそうです。
そして天皇の命に逆らい、むやみに人を殺傷する凶賊 だったということ。
そのために武将・難波根子武振熊という人物に討伐されたそう。
容姿は体ひとつに対して2つの顔。そしてその顔は背を向けあっていました。
さらにそれぞれの顔に手足を持っているので手は4本あったそう!
2人の人間が無理やり合わさったような容姿であったと言います。
岐阜県で伝承されている英雄説
宿儺の出身とされる飛騨の国(現在の岐阜県)である地方をまとめる豪族だったそうです。
飛騨の国を奪おうとする朝廷の討伐軍を倒した抵抗勢力であったり、
山に住む鬼の退治をしていたという話も。
討伐された側の朝廷があまりの恐ろしさに怪物に仕立て上げたのかもしれません。
作中では最凶の敵ですが、
こちらの説では困っている人のために闘う「英雄」のように崇められていました。
岐阜県で伝承されている偉人説
観音菩薩の化身であり、寺院を開いたという説がありました。
見た目は日本書紀と同様で異形の人とされていましたが、
宿儺が守護神であり、
仏の契約で生まれたことを告げると人々は仕えたといいます。
- 「両面宿儺」をモチーフにした石像
岐阜県、千光寺には宿儺のモチーフになったとされる「宿儺堂」があり、

地元から古くから親しまれてきた鬼神「両面宿儺」の石像が祭られています。
そこでは約1600年前、宿儺が開山し、飛騨地方を開拓して治めた人物して「偉人」されていたんだとか!
『「呪術廻戦」の「両面宿儺」』と『伝承される「両面宿儺」』の比較
さまざまな説がある中で、「呪術廻戦」の両面宿儺の特徴と比べてみましょう。
- 容姿について
作中では両面宿儺は腕が4本、顔か2つある顔の仮想の鬼神。指は合計20本です。
実在する説にとても近いようですね。
- いつ存在したのか
千年以上前には実在した人間だと五条悟が言っていました。
こちらも「日本書紀」と岐阜県の説にも当てはまります。
- 敵か英雄か
作中では最凶の呪いの王で、利益や目的よりも自分のために起こし、
呪術師たちが抹消しなければならない敵とされています。
そういった点から見ると、敵・悪役という位置付けにあるので「日本書紀」の方が近いかもしれません。
しかし、まだ明かされていない点も多いので今後の展開次第では英雄になる可能性も無きにしもあらず…。
「呪術廻戦」の「両面宿儺」の実在するのかについてのまとめ
この記事では「呪術廻戦」の「両面宿儺」についてまとめてみましたよ!
やはり作者は実在する両面宿儺をモデルにして描いたことは間違いないようです。
ただそれが敵なのか英雄なのか完結してみないことにはわかりませんね!
今後の展開に期待します!