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タイガージェットシン A・猪木 新宿伊勢丹前襲撃事件

1・「インドの猛虎」タイガージェットシン

・「インドの猛虎タイガージェットシン」

インドでレスリングを身につけてシンガポールで1965年にプロレスデビューをしたタイガージェットシン。
その後カナダに移りNWA世界ヘビー級王座に挑戦するなど、日本では無名でありながら着実にメインイベンターとなっていく。
1973年、新日本プロレスへ初来日を行う。
この時、相対する全日本プロレスはアブドーラ・ザ・ブッチャーやデストロイヤーなど多くの外国人レスラーが参戦し、日本人レスラー対外国人レスラーという
構図が出来上がり、多くのファンを魅了していた。

2・「新宿伊勢丹前襲撃事件」

・「新宿伊勢丹前襲撃事件」
レスリングの基礎があり、日本国外ではメインイベンターの力を持っていたシンは新日本プロレスではヒールとして
名を馳せていく。
そんな中、全日本プロレスほど話題性が少なかった新日本プロレスに大きな話題を集めた事件が起こる。
サーベルを振りかざしヒールとしては十分な力を持っていたが、試合外でもそのヒール感を現した。
1973年11月、A・猪木の当時の倍賞美津子夫人と買物途中だった猪木を襲撃し警察が出動する事件が勃発。
今のようにスマートフォンが時代、周りの人は何が起きているのか分からなかったという。
これはプロレス史に残る事件となる。
夫人は恐怖で何も出来ず立ちすくみ、ガードレールやタクシーのボンネットに叩きつけられた猪木は大流血をする中、必死に
1発はシン入れることが出来たという。
現場にいた人が通報し、警察が来た際にシンは一緒にいたビル・ホワイトら他の外国人レスラーとタクシーに乗り込み逃走し
現行犯を逃れた。

3・シンと猪木のその後の抗争

・シンと猪木のその後の抗争
事件後は契約もあり、新日本マットへ上がり猪木と抗争を続けていく。
この時に猪木のファイトスタイルは変わっていき、ナックルパートを使うなどより全日本プロレスとは違う
ストロングスタイルを確立していく。
遺恨マッチの最後は猪木のアームブリーカーによる「腕折り」でシンの腕を骨折させて終止符を打つ。
二人の戦いは目玉となるのはもちろん、他の日本人レスラーにも大きな影響を与えていきシンと試合がくまれると
話題性は十分になっていった。

4・日本プロレス界にもたらした功績

・シンと猪木のその後の抗争
事件後は契約もあり、新日本マットへ上がり猪木と抗争を続けていく。
この時に猪木のファイトスタイルは変わっていき、ナックルパートを使うなどより全日本プロレスとは違う
ストロングスタイルを確立していく。
遺恨マッチの最後は猪木のアームブリーカーによる「腕折り」でシンの腕を骨折させて終止符を打つ。
二人の戦いは目玉となるのはもちろん、他の日本人レスラーにも大きな影響を与えていきシンと試合がくまれると
話題性は十分になっていった。

5・真実

・真実
この「新宿伊勢丹前襲撃事件」、傷害罪で猪木または新日本サイドが訴えるべきであると
警察に促されるが契約レスラーであることでそれを拒んだ新日本プロレス。
当然、これだけの大きな事件を起こしたのだから、新日本側にも告発しないなら
道路交通法違反として罰すると通知が来た。
後者を選択すると、元々計画をして話題つくりの為に行ったものとみなされることとなる為、
騒ぎを起こしたことを詫び、始末書を出してこの事件は終わりを告げた。
しかし、時が経った今、両者が真実を話し始めている。
互いに知っていて計画したものではないが、話題性が欲しかったことで誰かが裏で糸を引いていた
という話も出てきている。


その場にいたビル・ホワイトも証言をしており、「やらせか本気かと聞かれればどちらとも言える。」
とも話している。
証言者が多くいること、また張本人の猪木が煙に巻いていたことでまだ闇の中ではあるが
2006年の取材で猪木自身が仕掛けたことと証言したとの話もあるが。。
憶測が飛び交うことで色褪せないことがプロレスの面白さでもあると言える。

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